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丸富士 丸富士のバンスリとバリ島シリーズ

第三の次元

プージャ(弟子入りの儀式)をしたあとの日の、ソハンのシェナイ・コンサートで確信した。
「ソハンはシェナイ・ワーラだ…ああ、俺は悪魔と契約を結んでしまった。自分は魂を売ってしまった」と思って愕然とした。

すごいショックで、どうせなら、シェナイ・ワーラになってしまおう…などとは到底思えなかった。やっぱり俺にはバンスリがよかった。違うんだよ、シェナイとバンスリは。シェナイは魔物という感じに対して、バンスリは、名手が吹くと、場の雰囲気がとたんに変わる。ただ、シェナイにしても、場の雰囲気が変わるのがだ、その変わり方が、まったく違って魔物的…。それをなんと言い表したらよいのか、わかならい。全然、違う次元からやってくるものという感じかな。シェナイの音には蛇が感応するくらいだから、それと似ていると思ったらいい。

ソハンもその点はしっかりと心得ていて、俺が入門したとき、彼はこう言った。

「私について、3年、4年、10年、ラーガの基礎を習いなさい。ラーガが何曲か完璧に吹けるようになったら、私にはそれ以上のことは教えられないから、ハリプラサードへ君を紹介しよう。」

つまり、ソハンは、自分がバンスリで教えられる限界を知っている。そもそも、ソハンはシェナイの名手なのだ。もし、俺がバンスリでなくて、シェナイを極めたいと思っていたら、ソハンにずっとついていけるだろうが…。

俺は今回、ヴァラナシの滞在が短かったから、ほんと、トータルにバンスリに打ち込んだ。ソハンが「これはできるかな?」と聞けば、それはすごく難しい。でも俺はそれが嬉しかった。もっともっと難しいものをくれと貪欲にラーガを習得していった。日を追うごとに、俺はラーガの理解が深まっていくのを体感することができたのだ。プージャの日に、魔物に捕まってしまったと愕然としたのとは裏腹に、自分のラーガにとては、ソハンは実によかったことがわかってきた。ソハンのように、ラーガを理論的に、しかも書いて教えられる先生も少ないと思う。それに比べると、俺の最初の先生グルジは一切理論的でないし書いたりもしない。グルジが吹いて、それを追いながら吹く。ラーガがそのまま、ストンと入ってくる感じ。

インド音楽は、ラーガは、大変理論的に構成されている。それをきちんとふまえないで勝手にふいていたら、ラーガにはならない。大変厳しいルールがあって、それを乗り越えてからではないと、自由にはばたいて吹けるようにはならないのだ。まぁ、これは、インドのラーガだけではく、インドの社会全体がそんな感じなのだと思う。

これは、ある本で読んだだけで、詳しくは知らないが、その本には意外にも、インドが世界で一番社会保障がしっかりしている国なんだそうだ…意外でしょ。でも、そのしっかりと整備された社会保障を手にするためには、大変複雑な手続きを踏まなければならない。そうして、はじめて保証を受けられる。でも、インド人は貧しくて、福祉がほんとうに必要な人は、たいてい文字が読めないし、頭のよくない、教育も受けていない人がほとんどだから、ちゃんともらうことができないままになっている。。。。でも、その手続きをきちんとやることができれば、それなりの社会保障が受けられるようになるらしい…と本で読んだ事がある。

こんなことがラーガについても言えると思ったんだ。厳しいルールがあって、それをきちんと踏まえることができてはじめて、自由に違う次元のところまでいけるとね。そのルールを習得するのに、何十年もかかる。そのあとで、自分の音楽にオリジナルな深みが出て、自由にやれる。ラーガとはそういうものなんだと理解した。

俺は、バンスリの名手グルジに出会って、バンスリの魂を与えられた。しかし、ラーガは、魂だけでは吹くことができない。2、3分、ペロンと吹くことはできても、ラーガで一曲吹こうと思っても全然何もできない。壁にぶち当たってしまったんだ。 ラーガを体系的に、きちんと教えてくれる先生が必要だったんだね。その体系をきちんと踏まえて、その上に魂を乗せて吹くことができるようにならないといけないと思ったんだ。魂だけでなく、体も持たなければならないと思ったんだ。ソハンは体をしっかりと与えてくれる人だった。魂だけあっても、体がなければ、この世では何もできない…。

落ち

そのころ、ある日本人に一本の笛が欲しいと頼まれた。実は、俺の前の先生であるグルジはとってもいい笛を作るんだ。それで、グルジのところに行って、Gを何本か作ってくれと頼んで、パイプ代として1000RSを渡した。いい竹は結構一本100RSと高いもの、しかも、10本か20本作ったなかで、一本くらいしか、ほんとにいいバンスリはできない。大変な仕事で、だから、竹代として1000RSを渡したんだ。そうして、頼んでおいて、俺はソハンのレッスンに通っていたが、あるとき、ソハンが「グルジとはどうなっているのかな?」と聞くんだ。それでわかったんだが、グルジは竹をソハンのバンスリ・ワーラー(職人)から分けてもらいに行ったんだが、そのときに、ソハンの職人に「ソハンに生徒を横取りされて、えらい迷惑している」みたいに愚痴をこぼし、それがソハンの耳に入り、お前のグルジがこんな風に言っていたよとソハンから言われたんだ。

ううん、グルジも人間なんだね。きっとクシャクシャしていたに違いないね。バンスリが出来上がったので、バンスリを引取りに行くと、確かに一本、素晴らしい出来のバンスリが出来上がっていた。あとは、やっぱりくずみたいなものだったけどね。1000RSをすでに支払ってあるけどもやっぱり、細工賃を500RS払った。すると、グルジはとても不満そうな顔をする。なんで500RSぽっちなんだ、あんなに苦労して…みたいなね。それで俺もがっかりした。そして、グルジは「ソハンのレッスンはどうだ?」と聞いてくる。気になって仕方がないんだろうね。たぶん、グルジにとって、俺はとても可愛い弟子だったに違いないと思う。その一番可愛い弟子が、自分を見捨てて、他の先生のところに行ってしまった…。「ソハンのレッスンはいいのか?」と聞かれて、俺は「とってもいいね」と答えると、「なんだ、俺のレッスンはよくないのか?」と聞いてくる。俺はほんと、がっかりしてしまった。

グルジには、わかってもらえる、わかってほしいと思っていた。丸富士のラーガの習得のためには、先生を替えることも必要だ。そのために、グルジの役割は終わって、いまは、それがソハンの役割になったんだと…それを理解してほしいと思ってたが、全然わかってくれている様子もなく、嫉妬している。でも、そこらへんが、やっぱりインド人なんだね。日本人の感覚とは違うのだと思う。あっけらかんと、嫉妬心を出してくる…。俺は、がっかりすると同時に、拍子抜けしてしまったね。グルジくらい、バンスリを極めた人物なら、それくらいのことはわかってくれると思い込んでいたんだ。

ただ、ラーガの魂は断然グルジのほうが深い感じがする。ただ、ラーガ全体でみたときの完成度はソハンのほうが洗練されてきちんとしている。そして、きちんとしていることもラーガには必要なんだ。ちょこっとだけ、いい感じに吹けるようになるには、グルジだが、一曲を全体として吹けるようになるにはソハンでないと無理だろう。

それはまさに、魂と体の関係なのだと思う。もし、ここに汚い食器があったら、それを洗わなくちゃならない。そのためには体が必要だ。魂だけでは何もできない。だから、俺には体が必要なんだ。何か自分の魂が持っているものを表現するには、体が絶対に必要なんだ。そういう意味で体を与えてくれるのはソハンだった。

そして、もし、体と魂が一体になったとき、魂が体を通じて表現されるとき、そこから先のステップに進む。第三のものがそこにはある。それを瞑想と呼ぶ人もいる。それは、グルジにもソハンにもたぶん与えられないものだろうと思う。もしかしたら、それは自分でやっていかなければならないことなのかなとも思う。もし、グル(師匠)について、それを習得しようとしたら、やはり、ハリプラサードなのだろうと思う。あの人のバンスリには、三つのものが揃っている。体も魂も瞑想も揃っている。魂が体で表現されるとき、バンスリを吹いているものも、それを聞くものも、全く違う第三の次元に入ることができるんだ。その次元について、言葉で言い表すことができない。自分が吹けて、それを聞いている人が、それが何なのか、はじめてわかる。笛を吹く、聞いているうちに、違うところにハッと行ける。。。。行ってはじめて、あぁ、あれだったのか。。。。そのあれってのは何?って聞かれても、言葉にならない。。。。。

…沈黙…

ヤス:ううん、とてもリアルな話、、、リアルすぎて、言葉にならないねぇ〜。バンスリを通じて、人がいったいどこへ行ってしまうのか?それは、言葉にならないね。実際に、バンスリを聞いた人でないと、わからない、それがいったい何なのかね。

丸富士:それは、本当の意味で吹ける人が、吹いて、それを聞いた人が、それが何なのか、が、わかる。だが、そこまでで、それが何かは言葉では言えない。まぁ、瞑想とか、第三のものと言う。それがせいぜいのところ。それだって、どうも、正確に、言い表せているのかは、全く疑問だ。

ヤス:ところで、プージャってのが、話のなかによく出てきたね。インドネシアにしても、インドにしても、プージャというものがある。プージャってのは、どういうものなんだろうね。

丸富士:簡単に言うと、まぁ、心構えみたいなもんじゃないかな。

ヤス:アジアに共通している心構え、まぁ、祈りのようなもの。何か、人間が、昔からやり続けてきたもの。たぶん、その第三の次元に通じるためのトリックではないかなと思う。簡単に、第三の次元には到達できないし、しない。それで、それに到達するために、いろいろな手順がやられてきた。それが、プージャのようなものだろうか?…

丸富士:あまりにも深すぎて、もうこれ以上、言葉にならない。今日はこのへんで失礼します。どうもありがとう。


るいネット

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